感話「山壁一恵姉とのお交わりを感謝しつつ」


教会員 岩村 浩


去る4月19日深夜、敬愛する山壁一恵姉妹は、二年余にわたる闘病生活から解放され、天国の父なる神様のみもとに召されました。連日泊まり込み、最期まで深い愛情をもって看病された山壁輝久兄弟、また、大切に生み育ててきた、かけがえのない一人娘に先立たれた大平恵美子姉妹の悲しみや淋しさを思うと、私も胸が張り裂けそうになります。

キリスト教では、洗礼を受けた者同士、男性は“兄弟”あるいは“兄”、女性は“姉妹”あるいは“姉”と呼び合います。血のつながりによる兄弟姉妹ではなく、キリストにあって結ばれた兄弟姉妹ということです。そして、互いに愛し合い、祈り合い、励まし合い、慰め合って歩んでいます。

私がキリストにある敬愛する姉妹・一恵姉と初めてお会いしたのは、二年ほど前、お父様の
大平準三兄の葬儀式でのことでした。その時は初対面だったこともあり、お互いに緊張してあまり心を開いてお話しすることはできませんでした。それからしばらくお会いする機会もないまま今年2月、埼玉県立がんセンターに家内とお見舞いに伺いました。  

病床でお会いした一恵姉は、私の脳裏に刻まれていた以前の印象とは違っていました。病状が悪化し、お身体も辛い状態であったと思いますが、一恵姉はご自分の病気としっかり向き合い、一方で周りの人々への配慮や思いやりを欠かさない、優しい方だと感じました。

突然お見舞いに伺った私たちに、嫌な顔一つ見せず、むしろとても喜んで、ねぎらいの言葉をかけてくださいました。そして笑みを絶やさず、ご自身の容態を落ち着いて説明される姿に、
何故かとても深い感動を覚えました。話しの合間に看護師さんが来られると、優しく控えめに
応対され、不自由なことがあっても「いちいち看護師さんを呼んだら、迷惑をかけるから・・・一人で大丈夫。」と言っておられました。
私だったら、体の具合の悪い時、苦しい時、ついつい近くにいる人、看護師さんなどに、わがままを言ったり、当たってしまうに違いありません。しかし一恵姉は「ありがとうございます」という感謝の言葉を絶やさず、謙虚に、思いやりにあふれた言葉で周りの人々に接しておられました。

また一恵姉は、夢で見た話をしてくださいました。天国から、お父様の大平準三兄と、昨年
10月天に召された私の義理の母千葉トモヱ姉が見舞いに来られ、少々弱音を吐いた一恵姉に、「あなたは若いのだから、もう少し頑張りなさいよね。」と励ましていかれたとのこと。

二度目のお見舞いは、一週間後の2月23日日曜日でした。その時は食欲がないとのことで、「何か食べたいものは?」と伺うと、「アイスクリームなら食べられそう」と言われ、病院の
コンビニで買い求めてお渡しすると、満面の笑みを浮かべてカップ一つ「美味しい」と食べて
おられた姿が今でも忘れられません。

前の週は別れ際に手を握ってお祈りをし、「また来るからね。」といって握手しましたが、
二度目は新型コロナウイルス感染症への配慮から、お祈りだけで、手を握ったり、握手することは控えました。その後まもなく家族以外の面会が禁止され、お見舞いに行くことができなくなってしまいました。

私は、最初にお会いした時の一恵姉の印象が、2月に病院でお会いした時、どうしてこんなに変わったのかについて、ずっと考えていました。一恵姉は、熱心なクリスチャンであったお母様の影響を、幼少の頃から少なからず受けられ、大学卒業後は、教会付属の幼稚園に入職されました。しかしその後いろいろな人間関係の問題の中、イエス・キリストから離れる生活を送って
来られたと聞いております。

そのような一恵姉を、神様は一生懸命に引き戻そうとなさったのでしょう。お母様大平恵美子姉の長年にわたる熱心な祈りと導きはもちろんのこと、頑固で、誰もが絶対にクリスチャンになるとは考えられなかったお父様大平準三兄が、81歳の時洗礼を受けられたことを通して、またその後のお父様のクリスチャンとしての生き方、最期の時、葬儀での教会との交わりを通して、神様は忍耐強く、一恵姉の心のドアをノックしておられたのだと思います。

そしてついに、一恵姉は心の中にイエス・キリストを受け入れる決意をされました。二月に
お会いした時キリストの愛につつまれたかのように謙虚で、思いやりにあふれ、感謝と微笑みを絶やさなかったことが、何故であったのか、今はっきりとわかりました。

そればかりか、一恵姉は、最愛の輝久兄にも共にイエス・キリストを受け入れることを望まれました。一恵姉は召される6日前に、輝久兄は一恵姉が召される日の当日に、それぞれ洗礼を
受けられたのでした。

天地万物を神様がお創りになり、その神様が愛の方でいらっしゃるなら、なぜこの地上には
多くの辛い別れがあるのでしょうか。神様がこれらの悲しみを全て取り除いてくださればよいのに・・私もそう思い、また願うものの一人です。しかし、葬儀式次第の表紙、にこやかに微笑む一恵姉の写真の下には「私たちの本国は天にあります」という聖書の御言葉が書かれています。私たちが本当に安らぎ、憩って永住する本国は、この地上ではなく、神様のおられる天の御国であるということです。この地上は仮の住まいでしかありません。

私たちクリスチャンは「永遠の命」を信じています。墓の彼方にある、より大きな生命への
希望を持って今はこの地上で生きているのです。

 私たちは、また天国で一恵姉にお目にかかれることを、そして多くの先に召された敬愛する方々と相まみえることを、心から信じています。神様が、今はみもとにいる一恵姉の目から涙をぬぐい、神様を信じて雄々しく病と闘い続けた一恵姉に、お褒めと慰めをくださっていると信じます。

一恵姉の信仰のゆえに、神様の御名を褒め称えます。ハレルヤ。
ご家族の上に主の豊かな慰めを、一恵姉とこの地上で交わりを持たれた方々に主の祝福を請い
求めます。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。    アーメン       





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