『時を選んで』

(2017年5月21日第54回教会創立記念礼拝証詞)



教会員  松村 洋子


日野原記念上尾栄光教会は今日、54回創立記念日を迎えました。月日の流れのはやさを痛感しながら、この喜びの日に、私もここに生かされている恵みを感謝いたします。たくさんの方々の祈りと献身と犠牲が積まれた故に、主がそれをよしとして、今日まで励まし、導き、守り続けてくださったことと信じて感謝いたします。 

日野原ゆり牧師がお元気だった大宮北伝道所時代は、幼児クラスの子供さんやそのご父兄たちの顔ぶれも多く、人の出入りが賑やかでしたが、上尾栄光教会に引っ越して間もなく、幼児クラスを閉じた後の教会は、教勢的には淋しいものとなりました。ゆり牧師もご病気がちとなり、長い代務者の時代へ。

それに加えて、大きな試練となった近隣地区の土地区画整理事業への対応で、千葉巌牧師をはじめ教会はエネルギーを奪われる中、毎週の日曜礼拝を守り続けました。3人娘などという言葉がまかり通るほど、定期的に礼拝に出席する人はまばらでした。


それでも、少ない人数で婦人会の活動や地区・教区などの集会にもできる限り出席しましたし、「井の中の蛙」にならないようにと、地区全体修養会などへも積極的に参加しました。当時は、長老であった千葉巌牧師もまた私たち信徒も、まだ若くてみんな元気でした。ゆり牧師が病を
得て入院され、その後召されてからは、牧師館が空き家状態になりましたが、上尾栄光教会設立当時からのご近所さんである杉原さんや滝川さんには大変お世話になり、助けていただきました。また土地区画整理事業への対策も、教会と共に組合との交渉に当たるなど、大変力強いお仲間でした。

このように一見、危うく見えることもある教会でしたが、今日までの54年という月日、一日も休むことなく礼拝が守られ、そこに教会の家族が集まって祈りつつ伝道活動を続けて来られた
ことは、まさしく、たくさんの方々の祈りに応えてくださった、神様からの祝福とあわれみを
頂けたからに違いありません。


次に、私がこの教会に導かれたきっかけを、少しお話しさせていただきたいと思います。
短大を卒業して半年後の秋、私は21歳になったばかりで結婚し、東京で勤務していた夫と共にJR北浦和駅からほど近いアパートで新婚生活を始めました。長らく神戸で過ごした生活から
一変しての、新たな出発でした。
1年後には長女も生まれて子育てが始まり、学生時代とまるで異なった日常生活に追われるようになりました。近所に親しい友人や知人も無く、生まれたばかりの娘を抱えてあたふたと暮らしていました。

アパートの近くには歩いて行ける距離に教会があり、何度か礼拝に出席しましたが、誰とも挨拶を交わすこともなく、誰からも声をかけられることもないまま、礼拝が終わるとすぐに黙って
帰って来るという有様で、学生時代過ごした母教会とは全く違った雰囲気で、かえって自分の
居場所が見つからないまま、教会へ行く気持ちがだんだん萎えてしまいました。まもなく大宮に小さな家を建てて引っ越しましたが、母教会へささやかな月定献金を送ることを言い訳に、教会へ通う習慣がなくなってしまいました。


子育てが少し落ち着いてきた頃、小学生になった次女がお友達の誘いを受けて、教会学校へ通い始めました。ある日私は、娘がお世話になっている教会へご挨拶に伺おうと重い腰をあげ、礼拝に出席しました。その教会が大宮北伝道所で、それが私の教会生活後編の始まりとなりました。以来、40年を超えてこの教会の交わりに加えていただいてきたことは、奇跡のように感じます。そしてこの40数年という期間は、本格的に私の信仰を試される時間になりました。


立場の違いからくる疑問や不安、自分の思いと異なる反応をされた時の無力さを痛感した時など、神様に励まされ、癒されて、心を鎮めることができました。


身近に見る二人の姉たちや、神戸で別れた友人たちの颯爽と活躍している様子を見聞きするに
つけ、私は母として、妻として、家族の一員として、はては成人の一人として、ちゃんとやれているのだろうかと、いつも自分を責めてばかりでしたから、導かれて始まった教会生活は、私にとって大切な癒しと慰め、学びの場としてかけがえのないものとなりました。何しろ三日坊主の私でしたから、教会生活が今日まで続いているということは、まさに主のお支えあればこそだったのでしょう。放蕩息子の例えのように、長らく教会から遠ざかっていた私を主が迎え入れて
くださって、今に至っているのです。これまでどれほど励まされ、癒され、支えられてきたか、はかり知れません。こうして私は、長い教会生活の中でたくさんの方々とのお交わりを続けながら、謙遜であることや赦し合うことを学び、自分の予想と異なる反応に、こんなはずではなかったと落ち込んだ時、主にとりなしてくださいと祈ることを教えて頂きました。


80歳となった今、体力はすっかり衰えましたが、私の心はとても穏やかです。
立派に成果を
おさめたいとか、何でも完璧にこなしたいと願いますが、どうしても叶わない私をご存じの神様は、同じ立場の人の理解者となるために、私を選ばれたのかもしれないと思えるようになった
からです。


「今の私に何が出来ますか」と問う毎日、また、主のとりなしを祈る日々、これが心の柱となりました。不思議な出会いを通して、かけがえのない教会へ帰らせてくださった主に、心より感謝いたします。ふとした出会いと思っていたことは、ぎりぎりの時を選んで、神様が与えてくださった貴重な時であったと分かりました。


自分に言い聞かせている聖書の御言葉を読ませて頂きます。
『すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。 だから、キリストの力がわたしの宿るように、むしろ大いに喜んで
自分の弱さを誇りましょう。
コリントの信徒への手紙二 12章9節)

教会の家族とて、様々な考えの方々がいて、何もかも同じとはいきませんが、見上げる先は主であるとの信仰の故に、その違いを乗り越えて譲り合い、お互いのために、主のみ栄えのために
祈り合うことが出来るという、何よりの強みを持っています。教会の家族がこの絆を一層強めて祈り合い、励まし合ってゆける者の一人でありたいと願います。




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