(50周年記念誌より)
教会員 三谷 章夫
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私が初めて上尾栄光教会を訪れたのは、会社勤めを60歳で定年退職した年の春です。その頃は会社という組織を離れ第二の人生に踏み出すに当たり、新鮮な気分の中にも多少の戸惑い不安がありました。そこで教会にでも行ってみるか、という軽い気持ちではありましたが、教会が定年後の心の拠りどころになるかも知れないとの
期待がありました。
私は学生時代から合唱団に入り宗教曲にも親しんできたので、週一回讃美歌を歌うのも、生活にリズムが出来て良かろうと考えたこともあります。たまたまこの教会が私の自宅に近く、愛犬との散歩の道すがら見知っていたので、教会の門をくぐるのに躊躇はありませんでした。しかし当時の教会の周りは人家も少なく草深く、人の
気配やぬくもりがあまり感じられずなんとなく寂しさが漂っていて、大丈夫かなと感じたのも事実です。犬の
散歩には丁度良い地域でしたが。
「日野原」の名も親しさを感じました。重明先生が私の母校(関西学院)と縁の深い方で、ある時先生と学校
OB会の場で話す機会がありました。その折先生が、上尾栄光教会とのご関係を親しく話して下さいました。
以来この教会をより強く意識するようになったものでした。
教会での賛美は楽しい時です。素晴らしいピアノに乗って声を合わせて歌えることは嬉しいものです。歌詞の
奥深さに徐々に理解が進み時に涙することもあります。
現在日本で用いられている讃美歌に、多くの種類があることを知りました。子供向けやキャンプなどで歌われるものの多いことも知りました。また、時に英国でよく歌われている讃美歌を教えていただくことも喜びです。
以前私はハワイで駐在員として生活したことがありますが、米国本土の黒人が多く集う教会の礼拝の様子が毎日曜日、テレビで放映されておりました。それは私の常識を超えた破天荒な賛美の雰囲気で驚いたものです。教会での礼拝が嬉しくてたまらない、まさに喜びが爆発という礼拝の姿でした。最近は日本でも若者グループの賑やかなポップス調の賛美が多くなっているのを見聞きします。が正直、戸惑いを感じることが多いです。しかしこれも馴染んでしまえば当たり前のことと受け止めることになるのでしょう。上尾栄光教会には現在のところ若者がほとんどいないので、新しい賛美スタイルは出て来ないと思われますが、いつの日か新しい息吹が芽吹くことも期待したいものです。
私は教会に来て10年。3年目のイースターに千葉巖牧師から洗礼を授かりました。受洗後に特に気持ちが改まったといえる自覚は乏しいですが、神の前に謙虚であること、常に神が見ておられることを意識するようになったことは確かです。しかしまだイエス様が夢に出てきたことはありません。早く夢で出会いたいと思います。
私の見る夢はほとんど悪夢。今なお現役時代の仕事で窮地に陥った場面や、ゴルフ中に金縛りにあって動けないなど、うなされ目が覚めることもしばしばです。まだまだ信仰が薄いということでしょう。
祈りが必ず聞き届けられるとの確信が得られるよう、これからも素直に祈る心を養っていこうと思います。
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