『英国の教会で学んだこと』

(2012年6月10日主日礼拝証詞メッセージより抜粋)


教会員  岩村 恵子


今朝は、約18年にわたる英国生活の中で、特に日本人のクリスチャンとして、英国の教会から学んだこと、
神様からいただいた恵みについてお話したいと思います。

1994年、私は主人の仕事の関係で渡英し、ロンドン郊外のサリー州パーレイ市に住むこととなりました。
英国に着いてまず、毎週通う教会をどこにするかが大きな問題となり、日本語で説教を聞きたい、讃美歌を歌いたいという願いから、ロンドン日本人教会に行ってみることにしました。しかし、何となく馴染めず、違う教会を探そうということになりました。

次に行ったのは、日本人牧師が説教を同時通訳してくれる教会の礼拝でした。今度こそこの教会で落ち着きたいと願いましたが、それも長くは続きませんでした。まもなく日本語礼拝が閉鎖となり、通訳をしていた牧師も
日本に帰ってしまいました。私たちは失望し、“郷に入っては郷に従え”、この際英国にどっぷりと浸かり、英国教会で信仰生活を送ってみよう、と決心しました。

私たちは毎週家の近くの教会を訪ね歩きました。しかしよい教会だと思うと駐車場がなかったりと、なかなか
思うようにいかず、そうこうしているうちに英国へ来た当初燃えていた信仰の火も燻り始め、海外だから教会をさぼってもしょうがない、自宅で家庭礼拝をすればいいじゃないかと、だんだん教会への思いも信仰も後退してゆくばかりでした。

そんな時、“知り合いが隣町で牧師をしているからぜひ訪ねてほしい”、と友人から連絡をもらい、行ってみる
ことにしました。数日後牧師から「礼拝に来てくれて有難う、またぜひいらっしゃい。」という親切な手紙が
届き、しばらくこの教会へ通ってみようかということになりました。

思えばこれが、本当の意味での英国教会との出会いでした。英国に来て3年余が経っていました。人間的な
弱さ、信仰的な未熟さから大変な回り道をしましたが、神様はそんな私たちを放り出さず、この後15年近くに
亘って教会員として信仰生活を続けてゆくべき教会を与えてくださったのです。

このようにお話しますと、さぞかし、それから大そうな信仰生活を送ったのだろうと思われるかもしれませんが、人生、そう易々とゆく訳ではありません。

私にとって何よりの問題は、“英語”でした。独身時代5年の留学経験があり、外国人慣れはしていましたし、
日常に必要な英語くらいは話せましたが、英国は私が以前住んでいた、ドイツやデンマークとは少し違っていました。ドイツでもデンマークでも、英語は彼らにとっても外国語なので、英語を話す時はお互いにたどたどしく、またミスも多くありましたが、何とかわかり合えればそれだけで嬉しい、“OK”でした。ところが英国人はほとんどの人が英語しかしゃべれず、世界の共通語でもあるので、誰でも英語が話せて当たり前、という感覚を持っていました。外国人であろうと何であろうと、ぺらぺらと自分たちの普段のスピードで捲くし立ててきます。答えられないと自己表現や自己主張がきちんと出来ない、無能力者か何かのように思われて、だんだん相手にもされなくなってきます。ドイツでもデンマークでもこんな思いをしたことはなかったのに、英国では、英語がまともにしゃべれないと、相手にもされないんだ・・・・と知ると、英語を話すのが嫌になってきてしました。教会の礼拝に出ても、もちろん説教はさっぱりわからない、教会の人たちとの交わりも英語が流暢に話せないので気が重い、その結果、礼拝が終わると逃げ出すように駐車場に直行しました。

そんな私でしたが、教会員皆が温かく接してくださり、度々牧師館や教会員の家で食事をご馳走になったり、
彼らの大切なプライベートのパーティーにも、家族同然に招いてくれたり、本当にキリストの愛とはこういうものなんだ、と思わされるような、数え切れない愛をたくさんいただきました。日本にいたなら、私だって教会のために多くの奉仕をし、キリストの愛をもって接することが出来るのに、と思いながら、しかし英国にあっては、全く何も出来ない、一方的に助けてもらい、愛情を注いでもらうだけの存在であることに気づかされました。何のお返しも出来ず、教会の人たちの愛を受けるだけの教会生活。不慣れな外国人というばかりに、ただ
ひたすら“ありがとうございます”と感謝する以外には、何もその愛に報いるすべがない、役立たずの者でした。

しかしこのことを通して、主は、「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。(Tヨハネ4章10節)」の
御言葉どおり、神様の愛の素晴らしさ、そして神様の一方的な、偉大な愛の前に、私たち人間がいかに小さく
弱い者であるかを、教えてくださいました。

そして、「どんなことにも感謝しなさい。(Tテサロニケ5章18節)」の御言葉のように、すべての事を、感謝をもって受けるべきであることを学ばされました。私はこの時期、もう一度謙虚にへりくだって、真摯な態度で、英国人のクリスチャン、牧師・牧師夫人・役員・教会員一人一人の愛の奉仕や言動、教会活動、牧会や伝道の仕方等々を、じっくりと学ぶ時間を、主から与えられたのだと思います。

このように愛を受けるばかりの、ひたすら感謝の日々がどれ程続いたでしょうか。2007年1月に父が天に
召され、その年の6月、私は約1年ぶりに英国に戻ってきました。そして思いがけず、奏楽者が前立腺がんで、しかも咽喉に転移し、声も出なくなって大変な状態にあることを知りました。父を肝臓がんで亡くしたばかり
でしたので、“がん”と聞いただけで黙っていられず、とっさに、「私で何か教会のお役に立てるなら喜んで奉仕します」と言ってしまいました。実はこれが、英国の教会で私が本格的に奏楽をすることになった、そもそもの始まりでした。

これまで牧師に頼まれ、時々礼拝の奏楽をしたことはありましたが、メインの礼拝はミュージック・グループがいつも担当していました。その中のキーボードを弾いている人が、正式な奏楽者でした。私はこのミュージック・グループを“チンドンや”と呼び、なるべく近寄らないようにしていました。クラシックピアノの私とでは、まるで水と油、彼らがエレキバンドよろしく演奏する礼拝などうるさくて、耳がつんざけそうで、本当にうんざりしていたからです。何故神様はよりにもよって、ピアノがない、しかもあんなうるさいエレキバンドの教会へ私を導いたのだろうか、と何度思ったことでしょう。ピアノさえあれば、私のような役立たずの外国人でも、
もう少し教会の奉仕ができるのに・・・・“神様何故こんな教会に導いたのですか?”これが私の長い間の疑問でした。ところが、ミュージックリーダーのがんの話から、これまでの全ての経緯は吹っ飛んでしまい、何と私が彼の代わりにキーボードを担当することになったのです。しかも“チンドンや”と一緒にです。

幸い音楽にはあまり英語のハンディはありません。曲が演奏出来ればそれでOKなはずだったのですが、実際はそんな甘いものではありませんでした。教会のメイン礼拝で歌う曲は、シンコペーションを多用するとても複雑なリズムの連続で、おまけにギターのコードに合わせて、度々調を変えて演奏させられ、歌う回数もいい加減で、楽譜と関係なくどこを演奏するかわからないという調子でした。「一体どこに何回戻ればいいか、はっきり打ち合わせをしてほしい」と頼んでも、“聖霊の導かれるまま”だから、その時にならないとわからないと言われました。彼らはコードだけを見て演奏するので、楽譜が読めず、私にきちんと説明することができなかったのです。

音楽を担当する人たちがこんな調子ですから、一般会衆はもっとわかるはずもありません。ですから一般会衆の歌う讃美歌の本は、日本のように楽譜がついておらず、歌詞だけが書いてありました。それでもあんな複雑な
リズムをどうして歌えるんだろうと最初は不思議でしたが、たぶん何度も何度も聞いたり歌ったりしているうちに、耳から自然に覚えてしまうのだろうと思いました。

こんな訳で、最初の頃は何度も、“もうやめよう”と思う程、そのいい加減さに本当に腹が立ちました。ただ幸か不幸か、そのような不満をうまく英語で説明したりぶつけたりすることがとっさに出来ず、いつもアンデルセン童話の“人魚姫”のような心持ちでいました。けれども後になってつくづく、彼らを傷つけるようなことを言わずに済んでよかったと思いました。おかしな話ですがこの頃、私は英語が上手く話せないことを、神様に感謝しました。
「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに
役立つ言葉を必要に応じて語りなさい。(エフェソ4章29節)」この御言葉が示されました。

礼拝では、毎週20曲近くの讃美歌を練習しなければなりません。移調して弾く曲などは、とうとう自分で楽譜を書き直し、また楽譜もない讃美歌の演奏を頼まれた時には、彼らの歌う旋律を聴きながらノートに音符を書きとめ、自分で楽譜を作ったりもしました。礼拝では、何曲もの讃美歌を連続で歌うことが多く、また、司会者の思いつきで、その場でいきなり、“お祈り”のBGMに演奏を頼まれたり、まさに臨機応変、どんなことにも即座に対応できないといけない、というものでした。ぼけっとしていると、司会者の英語を聞きそびれて、音楽を
始めるタイミングがわからなくなったり、7番まであるような長い讃美歌は、頭の中で余計なことを考えた
瞬間、今何番だったっけ?となってしまい、よほどの集中力が常に要求されました。

こんなことを毎週続けているうちに、私は知らず知らず、初見、作曲、編曲、歌の伴奏のみならず他の楽器との協演の訓練、果ては英語の勉強までさせられていたのでした。どの学びも、独りでピアノの演奏をしているだけでは絶対に経験できない、貴重なものでした。“神様はこの教会に何故私を導いたのだろうか、ピアノもない、自分の賜物も活かせないこんな教会に・・・”と、ぼやいていた私に、主はこのようにして、長い時間をかけて、その答えを与えてくださったのです。

そればかりでなく、ふと気がつくと、愛する父を失った一番辛かった時期に、悲しみに浸る間もなく、主を賛美するための猛訓練でフーフー言っている自分自身を発見しました。それでも父を思い出して涙の出そうな時は、頭や肩に手を置いて真剣に祈ってくれる、キリストにある仲間たちを、いつの間にか主は、そばにおいて下さっていたのです。主はこうして、父の死によって私が悲しみに打ちひしがれてしまわないように、そこから救い上げ、悲しみや嘆きの代わりに、喜びや賛美や愛をいっぱいに満たしてくださいました。主の深い憐れみに心から感謝しました。

苦しい時、悲しい時、嬉しい時も、主を賛美する歌や音楽は、聖書の御言葉と同じように私たちを励まし、
慰め、勇気づけ、感謝や喜びや愛でいっぱいに満たしてくれます。
これからも主への賛美と感謝をもって歩む人生でありたいと願います。



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