(2006年3月26日主日礼拝説教より抜粋)
牧 師 千葉 巖
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今朝は、私の82年の人生に神様がいかに関わり、私を愛してくださり、今日まで守り、助け、導いてくださったかを証しさせて頂きたいと思います。
私は3代目のクリスチャンで、父はホーリネス新宿余丁町教会の牧師でした。親族の中にも、父の義弟・葛原定一牧師(北米ホーリネス教団初代監督・シカゴレイクサイド教会牧師)、この教会の日野原善輔牧師・ゆり牧師はじめ、数多くの牧師がおりました。
しかし私の信仰生活を振り返ってみますと、母の信仰が、いかに私に大きな影響を与えたかということをつくづくと感じます。母は武士の娘として仙台に生まれ、武家の厳しい躾を受けた女性で、明治・大正・昭和と88年の波乱万丈な生涯を生き抜いてきました。この世的には決して幸せとは言い難い、実に苦難の連続のような人生でしたが、母はそれゆえにイエス・キリストと出会い、強い信仰を最後まで貫き通した人でした。私は幼い頃からいつもこの母の祈りと信仰に支えられ、15才の時、豊島神の教会清水長晃牧師より洗礼を受けました。
その後戦争で東京の家を焼け出され、家族は地方へと疎開し、私は当時陸軍将校でしたが、主の御守りの中で終戦後無事家族のもとに戻ることができました。その頃思いがけず、疎開先でお世話になっていた教会の牧師から、
娘の婿になって、学費も全て出すので、神学校で勉強をし、牧師として自分の後を継いでくれないかというお話がありました。今人生を振り返ってみますと、これが、神様からの第1回目のチャレンジであったと思います。しかし当時23、4才の私は、献身のことなど考えてみたこともありませんでした。戦後若い独身男性は婿にと引っ張りだこでしたが、私はやはり妻をめとって、貧しくとも一国一城の主になりたいという気持ちが強くありました。また牧師という浮世離れした職業よりも、社会に根を下ろして、しかも国家の財政に関わる仕事をしたいという
思いがあり、当時の大蔵省東京財務局に入りました。そして31才の時小学校教諭であったトモヱと出会い、結婚しました。
やがて、関東教区に生涯最後の教会を設立したいというビジョンを抱いて、アメリカで募金活動を展開しておられた日野原善輔牧師が突然召天され、未亡人として姉ゆりが帰国しました。夫の遺志を継ぐべく、神学校での学びを終え、日野原重明先生はじめ多くの方々のご支援を受けて、大宮北伝道所を開所することになりました。開所に
当たって当時の大宮教会谷川真海牧師から、最初の信徒となってゆり伝道師を招聘するようにとのお勧めを受け、私共家族は大宮教会から大宮北伝道所に移りました。
その後、私の信仰の師でもあった母が88才で召天しました。“ゆりを頼みます”、と いうのが母の最後の言葉でした。それからの教会は、新幹線の設置で現在の上尾の地に移転するための様々な問題、会堂建築に伴う借金の返済、またそのような中でのゆり牧師の病気と、苦難の連続でした。さらには近隣一帯で始まった土地区画整理事業のため、広い敷地を持っていた教会は、わずか数人の教会員ではとても背負いきれない多額の資金調達を強いられました。まさに、これでもかこれでもかと苦難や試練が押し寄せ、ついには“教会を頼みます”と言い残してゆり牧師が召天し、教会の存続すら危ぶまれる状態となりました。
この時、神様からの2度目のチャレンジと言っていいかもしれませんが、私に、姉の後を継いで牧師になるようにと勧めてくださる方がおられました。しかし、やはり私には献身の確信が持てませんでした。すでにゆり牧師が病に倒れて以来平日は病院で付き添い、週末は家内と交代して家で説教の準備をし、毎週私の信徒説教を通して一度も休まず教会の主日礼拝を守り続けていましたが、とても牧師資格を取るために費やす時間やお金の余裕はありませんでした。むしろそれらをすべて教会のために 捧げ、信徒の立場で、長年会計や財政の仕事をしてきた賜物を生かして、今教会にとっての最も大きな試練、つまり土地区画整理の膨大な資金調達を成し遂げることこそが、
私に与えられた使命であると確信していました。
私が3人娘という愛称をつけた、高林姉、松村姉、大平姉が、その思いに共感してくださり、「心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。」という、第一コリント1章10節の御言葉にあるように、まさに一糸乱れず、同じ心と思いをもって、わずかな人数で必死に教会を守り抜いてきました。教会の存続をかけて、土地区画整理の資金調達を成し遂げるため、自分たちにできる精一杯の献金を捧げ、それぞれが一人何役もの奉仕をし、さらには無牧の教会の信徒だと笑われないように、聖書の学びや伝道の訓練、礼拝司会
・ 祈祷の勉強なども、共に
熱心に励んできました。それまでゆり牧師の陰にいて人前で話しをするのが苦手だった姉妹たちが、次第にどこの集会に参加しても堂々と祈ったり、発言したりできるようになったのも、この時の訓練の賜物だと思います。
そのような時代が10年以上も続き、ようやく土地区画整理の資金調達が完成に近づき始めた頃、高林姉が病になり、私も71才で大腸ガンの手術をすることになりました。中期の進行ガンが2つあり、手術をしてもリンパ節への転移があれば死を覚悟しなければなりませんでした。しかし主は私たちの熱心な祈りや願いに耳を傾けてくださり、術後の検査でリンパ節への転移も認められず、5年間再発がなければ完治ということになり、その大変な病から私を救い出してくださったのです。
この時私は驚くべき神の力、神の愛に触れ、死んでしまっても不思議でないこの身を、神様はどのような目的で
この世に生かしてくださったのだろうかと考えるようになりました。そしてこの大腸ガンの病をきっかけに、主が3度私に、その決断をするようにと迫ってこられたのを強く感じました。ただ何と言っても71才という高齢で、大手術のために体力もすっかり弱り、日本基督教団正教師の資格を取るためには、補教師を経て、最短でも8年はかかるという気の遠くなるような話でしたので、果たしてそれが自分に出来るのかという思いと不安がありました。しかし主の御声は「教会がいつまでも無牧の状態であってはならない。教会にはやはり、正規の牧師が必要である。」と私の心に語りかけてきました。そしてついに私は、それが主の御心であり、主がすべてを導き、成し遂げてくださるなら、この身を喜んでお捧げしようと決心しました。
教師検定試験の勉強は年を追うごとに体力も弱まり、記憶力も衰え、大変になり、もうこれ以上は無理と思うことも何度もありましたが、主が最後まで私を支え、守り導いてくださり、78才の時按手礼を受けることができました。そしてその時と前後して教会には新しい方々が訪れるようになりました。正教師になった翌年のイースターに綿貫忠雄さんが、その次の年のイースターには三谷章夫さんが、洗礼を受けられました。長い間受洗者のなかった私たちの教会にとって、このことは神の大いなる祝福と恵みでした。また、大宮北伝道所時代から教会のために
献身的な奉仕をしてこられたいわば同志のような高林姉を、この教会から天の父の御許にお送りすることができたのも、神様の深い憐れみであったと思います。高林姉は晩年パーキンソン病に苦しみましたが、長年労苦を共にした私が牧師となったことを殊の外喜ばれ、車椅子で教会の礼拝に出席され、私たちに大きな励ましを与えてくれました。
私は昨年肝硬変が進んで肝臓ガンになり、再び大きな病と闘うことになりました。30年前十二指腸潰瘍手術の折、輸血によってC型肝炎になり、それが肝硬変、ついには肝臓ガンへと進んだわけです。肝臓の病は大腸の時よりも更に厄介なものでしたが、神様はまだ世界的にもあまり知られていない、高度先進医療である陽子線治療を
通して、私の病を治してくださいました。またバブル経済がはじけて以来金額が確定できず、支払いが延び延びになっていた土地区画整理事業のための土地買い取り金2200万円余を、昨年末ついに、全額支払うことができました。
こうして振り返ってみますと、私の82年間の人生も、また私たちの教会の歩みも、いかに神様の深い愛と憐れみの中にあったか、そして私たちの信じる神様は、今も私たちの内に働いておられる“生ける神である”、ということを、私はあらためて強く確信いたしました。
「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえわたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」この第二コリント12章9〜10節の御言葉が、献身して以来幾度となく私の心に語りかけてきました。
神様は私のような、高齢で、多くの病を抱えた、小さき、弱き者をこの教会の牧師として立ててくださり、教会員の方々の愛や奉仕に支えられ、またその時々に必要な助け手を必ず送ってくださり、今日まで、主に与えられた
使命を全うさせてくださいました。
そして、「試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。」というヤコブ1章12節の御言葉どおり、私たちの教会は数えきれない試練を受けましたが、
教会員一同よくそれを耐え忍び、今は驚くほど多くの祝福を、神様が次から次へとお与えくださっています。
今日はこれから、上原通子さんと小林義明君が正式に教会員として加えられる、転入会式があります。また、教会員皆様方の温かいご配慮により、4月から名誉牧師となる私の最初の奉仕が、風間美加さんと町谷健治さんの4月8日に執り行われる結婚式です。
私は今日の主日礼拝をもって主任担任教師としての仕事を終えますが、神様がこのように私たちの教会を愛し、
祝福しておられるのですから、教会員の皆様方もイエス・キリストから決して離れないで、お互いに愛し合い、
信仰を高め合い、上尾栄光教会がこれからも『地の塩・世の光』となって、神様のご栄光を現わす教会として用いられますように、心を合わせていただきたいと切にお願いいたします。
私をこれまで愛し、守り、導いてくださった神様と、多くの愛に満ちた奉仕で支えてくださった教会員の皆様方、また尊いお祈りやご助力、ご支援を賜りましたすべての方々に、心から感謝申し上げたいと思います。
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